シン・ゴジラは「人間味がない」か

(ネタバレをします)

 

 

話題のシン・ゴジラ、色々ありまして遅れて観た。

これまでのゴジラとはまた違った、「現実味」が埋められていく充実感が心地よく、またそれに伴うゴジラの災害感も良かった。

 

イェーイ!!面白い!!怖い!!ゴジラ!!

イェーイ!!イェーイ!!

 

というノリで感想探してみたら批判もかなりあってガックリと膝をつきましたうわめっちゃへこむ。

いやまあ、分かるんだよ。そりゃこんだけ特化したゴジラだもの、新規層だってかなり増えたでしょう。そりゃ批判も沢山ありますわ。私の一番好きな『ゴジラ×メカゴジラ』なんてもうそれこそ「エヴァかよ」「ゴジラ棒立ち」とか散々な謂れを受けたりしてるからね。ゴジラシリーズは大体一番ミレニアムシリーズが割を食ってんだ!!ちくしょう!!ゴジラが棒立ちなのも理由があんの!!いいだろうが機龍!!かかってこいや!!

……と、まあ、好きな作品が批判受けるのは慣れっこなので、人それぞれということで心に棚を作っています(製作途中)

が、

的外れな批判は割と許せない。

その代表的なものが、「人間味がない」というもので。

どうしても気になったので、これを書くことにする。本当は零プレイ感想が最初のはずだったのにな

ちなみにまだ一回しか映画は観てません。パンフは売り切れでした。セリフなど間違ってましたらご容赦を。

 

・矢口蘭堂には人間味がないか



実際には、とても人間味のあるキャラクターだと思う。主人公なだけあって、出演シーン数が多い分、人物描写も多いしね。

まだ若い官僚の矢口、普通ならば上の人々の顔色を伺う立ち位置であるものの、最初のゴジラ第一形態を指してクジラか何かと沸き立つ中で、一人だけ「巨大噴煙生物かと」と進言する。それも間に竹野内豊に窘められても、もう一度同じことを言う。

ゴジラが上陸し破壊され尽くした瓦礫の中で、沈痛な面持ちで手を合わせる。

災害時には外に食べに行くわけにもいかないから、メシはカップ麺。片桐はいりからお茶を受け取り、災害発生からずっとシャツを替えておらずに臭くなっている。けれどもシャワーを浴びることも少し躊躇うほどに仕事に重きを置いている。

総理や大臣達を載せたヘリが熱線で焼き尽くされた時には、怒りと混乱で珍しく声を荒げて「まずは君が落ち着け」と水の入ったペットボトルを押し付けられ、我にかえる。

……思いつく限りでもこれだけあって、どうして「人間味がない」のか分からない。

確かに、家族面や恋愛面、物語面で「人間味を与える」効果はあるでしょう。そりゃもう大いに。『仮面ライダードライブ』において終盤のチェイスは序盤からは考えられないことを口走っていた、機械生命体の中でも特に機械機械している彼に、妙に人間味があった。

けどそういったものは、ほんの一例にしか過ぎない、ってことをもっと考えるべきだと私は思う。

適材適所、物語には物語に合わせた描写が必要になるわけで。

シン・ゴジラの物語、監督に庵野さんがいるのもあって解釈めっちゃくちゃに人それぞれなんだけど、基本の構造はキャッチコピー通りに『現実vs虚構』なの。『災厄であるゴジラを、災害として対処する日本』の物語。

製作姿勢にもある通り、歴代ゴジラの中でも抜きん出てこの物語はその『現実』の比重が強い。メーサー号なんて出ないし、三式機龍だってあるわけもない。

じゃあそれが物語の『現実』だとして、キャラクターの『現実』はいったい何か?矢口はどこが『現実』に根ざしている?と考えた時、それはもう彼に与えられた役割でしょう。

矢口蘭堂は『日本国の政治家』だ。

だから、災害が起こった時には全力でこれに当たり事態の収拾に務める。

実際問題、その中で恋愛とか家族とか必要か?

もちろん矢口だって家族のことは大切だったかもしれない。だけどあの場を考えてみると、『災害時』なんだよ。普通に連絡が取れる方が珍しいし、むしろ仕事をしている方が家族にとって何よりの安否情報かもしれない。画面に映っていないとこで、彼は連絡をとっていたとかそういう脳内補完もあり得るでしょう。

「そういうとこを描写しなけりゃダメなんだよ」わかる。だけども描写の優先順位っていうものもある。現実に重きを置いているからといって、全てが緻密に描写されるべきでもない。だってこれは、シーンの取捨選択で繋がれた映画だから。

矢口の人間味は、上に書いた通り散々描写されている。なら、2時間の中の貴重な数十秒を使って家族の姿を描写する必要もない。だって矢口の映画で求められている役割は、「政治家」であって「家族の一員」ではないんだから。

そして恋愛面だけど、これはもう、さあ。

国の危機に働くべき人間が、その国の危機に、恋愛する映画。もしその映画が恋愛に比重を置いたとしよう。それならまあアリかもしれない。だけど、これ、ゴジラだから。ゴジラがやってきていて対処しなきゃいけないのに恋愛してる政治家とか普通に頭おかしいよ。それでも物語として破綻しろって言うなら別の映画に求めるべき。

自分の大切なものを抱えて、ゴジラという恐怖に逃げず、立ち向かうことの美徳を求めるのは結構だけども、まずそれが当たり前になっている政治家、そして自衛隊は少なくとも物語で描写する必要は少ない。まず政治家は前線にいるわけじゃないし、自衛隊は立ち向かうことが仕事なわけで。ごく一般家庭の私が彼らに物語の中での美徳を求めるとしたならば、それは「"当たり前"を超えた状況に立ち向かう、"仕事"」の側面。そしてシン・ゴジラはそれを描いている。

 

・ラストシーンは地味か

まあぶっちゃけて言えば、特撮としては昔のものよりも感覚として『地味』だよね。モンスターXとのガチバトルがあるわけでもないし、火口にゴジラが落とされるわけでもないし、あくまで人の力のみで挑んだこの最終作戦は、そこ抜き出せばシュールな笑いにもなりかねない。(あくまでそこだけ、の前提で)

だけども。

だけどもさあ。

もうさあ。

 

2時間近く何を見てきたんだよ!!

 

このゴジラめっちゃ地味な閣議とか多いじゃん?!それでも地味なはずなのに面白いじゃん?!

 

そういう映画なんだよ!!!

 

いい加減分かれよ!!確かにそこが不満ならこの映画は君には合わなかったのかもしれないけど!!いい加減!!分かれよ!!物語には適切な描写があるってことは既に言った!!

それとも何か?!あれだけ矢口はじめ日本の人間、時にはスパコン等の世界まで巻き込んで頑張った結果、いきなりスーパーXとか機龍が登場すれば良かったんか?!スーパーXⅢがカドミウム弾撃ち込みまくったり!!機龍がアブソリュート・ゼロ撃ち込んだりすれば良かったんか?!さすがの機龍好きな私でもそれは引くわーーー!!一気に萎えるわーーーー!!!これまでの努力と物語背景は何だったん???ってなるわーーーーー!!!!

言っとくけど件の無人在来線爆弾がやってきた時点でもう爆笑もんだからね?現実寄りのフィクション作ってる中であれは良くやったよ!!JRが爆弾積んでゴジラめがけてぶち当り弾き飛ばされながらドッカンやぞ???あっ山手線だ!って認識した次の瞬間にそれやぞ???地方民はそれぞれ自分の普段乗ってる電車を想像してほしい。あの映画で笑ったの後にも先にもこれだけだわ!!!

物語内の常識で考えればさあ、そもそも高威力の火器は飛行するタイプのもののため効かない、核攻撃は一番阻止すべきもの、その中で編み出したヤシオリ作戦がドッカンドッカン派手なわけあるか。いやむしろ重機的にと電車的にはめちゃくちゃ派手ですけど!!!

これに納得いかないならもうこの映画はあなたには合わなかったんだ。恥じたりひけたりすることはない。そりゃ人により合う合わないはあるもん。私だって『VSビオランテ』嫌いだもん。

でも、だからといって、物語の根幹を破壊するような批判は、やめた方がいい。良いところと悪いところ、物語の存在としての筋に合ってるんだとしたらそれはもうそういう話なんだ。好きか嫌いかで語ればいい。筋に合ってない箇所なら批判すればいい。

シン・ゴジラはそういう意味で、物語の筋を通した映画でした。完成度が高いとはこういうことかと思う。

もし批判したあなたがそれでも怪獣が好きで、ドッカンドッカン派手なのが好きで、キャラクターにフィクションとしての分かりやすさが欲しいのであれば。

 

 

 パシフィック・リム観ようぜ!!!!!!!